■『牛の鈴音』■(映画) 


ウシノスズオト
本作はもともとTVのドキュメンタリー番組として作られたそうな。
それが、数少ない小屋で公開されるやたちまち話題沸騰!
一気に拡大公開され、挙げ句の果てにはアメリカでの上映、そしてようやく日本での公開となった、韓国全体を興奮の坩堝に引きずり込んだのでありました。

登場するのは80歳近い爺さんと婆さんと、それに負けないくらいの年老いた牛。
韓国のとある山村を舞台に、この2人と1頭の姿が淡々と綴られるというただそれだけの映画。
これがなぜに、韓国の人々の心を掴んだのか・・・?

なにげない日常。
80歳近い爺さんのそばには、30数年連れ添ってきた40歳になる雌の牛。
いや、もっと長い時間連れ添ってきた婆さんもいるのに、爺さんの感心はその雌牛ばかりに注がれる。
幼少の頃から片足が悪いにも関わらず、農作業には車や耕運機を使わず、かたくなに雌牛とともに行動する爺さんは、牛の食べる餌も市販のものはダメだってんで、悪い足をひきずりながらも背負いきれないくらいの草を牛のために刈り取ってくる。
そんな爺さんの姿に婆さんの口から出るのは、爺さんに対する愚痴ばかり。

やれ、ポンコツ(爺さんも牛も)だの、こんなところに嫁がなきゃよかっただの、わたしより牛のほうが大事なのかい、だの、爺さんの顔を観ると罵詈雑言の嵐(とは言いながら、爺さんが体調不良を訴えると、当り前だけれど爺さんを気遣う婆さんの姿。さすが! 長年連れ添ってきた夫婦だわ)。
そんな映像が1時間強、延々続くのですが、これがじつに面白い。

しかし、爺さんはひたすら農作業を続け、婆さんの愚痴も黙って聞いている。そんなことよりも、獣医から余命いくばくもないと伝えられた老牛のほうが気がかりでならない。
そんな焦りと絶望と、そして牛に対する慈愛の表情がスクリーンから痛いらいに伝わってくるんです。ここんところ、動物映画好きな僕にはとことんツボでありました。
婆さんも、決して爺さん憎さに罵詈雑言を吐くんじゃなく、平たくいえばそれは愛情の裏返しだってことは、映画を観ているとじんわりじんわりわかってきます。これがほんとに巧いんです(いえいえ、ドラマじゃなくドキュメンタリーゆえの味わいというのでしょうか)。

爺さんだけでなく、ラストにぽつりと漏らす婆さんの言葉がじつに沁みてくるんですよねぇ・・・。
あの言葉にはほんと、泣けました・・・。


この映画、舞台こそ韓国ですが、僕の母親の子供の頃には、うちの近所(奈良県です)でも農作業の動力源として当り前のように牛が使われていたんだそうな。
いわば、本作に登場する韓国の山村は日本の原風景、いや、アジアの原風景ともいえるのかもしれません。
そこで繰り広げられる不変の物語であるからこそ、多くの人々の共感を得たのも納得いくものです。
本作を撮ったイ・チュンニル監督の父親も農夫で、牛を使って仕事をし家族を養ったとのこと。
監督は本作を父親と牛に捧げる、と結びの言葉にあるように監督自身の原風景、創作活動の源でもあるのでしょう。
けっして派手な映画ではありませんが、それゆえ作り手の感情がストレートに現れて入るんじゃないかと思います。


興味深かったのは、あまりに老いた牛ゆえ、爺さん婆さんは若い雌牛を買ってくるんですけど、これがまったく働かないんです。
しかも身重で、生まれた子牛は母牛じゃなく、この年老いた牛にまとわりつく。
また、爺さんが餌をやると、若い牛は老いた牛を追い払って餌にありつこうとする。
牛にもドラマがあるのを、キチンとカメラに収めた監督の手腕にはほんとに敬服いたしました。


タイトルの牛の鈴音とは、老いた牛が首からかけている鈴のこと。
本編のほとんどの場面でその鈴の音が響いてくるのですが、最後にとうとうその音は鳴らなくなってしまいます。
鳴っていているのが当り前であり、それはいつまでも続くかのように響くのに、ある日を境に鳴らなくなってしまう。いつもそこにあると思っているものでも、いつなくなってしまうかもしれない。
毎日がおだやかな韓国の山村とて、それは例外ではない。
アジアの人々の原風景を捉えつつ、そこに監督の深いメッセージが込められているような気がしました。

(シネマート心斎橋にて鑑賞)


【採点:100点中75点】



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