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■『カールじいさんの空飛ぶ家』■(映画) 


カールジイサンノソラトブイエ
本作は原題を『UP』というのですが、邦題はかなり説明的かつ童話的(そこはかとなくジブリ臭が漂っているように思うのは僕だけか?)なタイトルになっておりまして、まぁ、そこはタイトル読めば映画の内容もわかるってなもので、それに対してとやかく書くことではありません(書いてるじゃん)。
ただ、タイトルから抱くイメージと実際の内容にちょこっと温度差を感じたのです。


主人公のカールは幼馴染みのエリーと結婚し、ささやかな家を持ちます。
仲睦まじく暮らす二人でしたがやがて互いに年老いて、エリーはカールを残して先に逝ってしまいます。
心にぽっかり穴が空いた状態でカールは現在78歳。エリーとの思い出の家でひっそりと暮らしています。

映画の冒頭、ここまでのくだりを情感たっぷりに描くその語り口(マイケル・ジアッキーノによる流麗なスコアが素晴らしい!)には、場内からいきなりすすり泣きが起こるくらいで、その時点で本作は傑作なんじゃないかと僕自身も思いました。
カールがいかにエリーと家を愛していたか、そしてカールという人物がどのような人生を送ってきたのか、それをほんの短いシチュエーションで描き、観客に納得させるというその手腕は、アニメーション独自の持ち味を活かしつつ、深く人間の本質を刺激するもので、そこにディズニーの真骨頂を観たように思いました。


さて、カールの家の周囲は立ち退きが進み、古い家は次々に取り壊され街は変貌していきます。
そんななか、カールは頑なに家を守っていましたが、建設業者との間に障害事件が起こり、やむなくカールは老人ホームへ入居させられることになる、っていうことはつまり、我が家を手放さなくちゃいけなくなります。

驚いたのはディズニー(正確にはディズニー&ピクサー)作品で法廷シーンが登場するということ。
どちらかといえばファミリー向けの作品群において、冒頭のカールとエリーのドメスティックなエピソード(ここでもおおよそ子供向けとは思えないシチュエーションが登場します。詳細は割愛)に続き、じつにリアルな現実社会を提示するというところで、本作のターゲットが子供よりも大人に重きが置かれていることがわかってきます。

カールジイサンノソラトブイエ2
さて、立ち退きせざるをえなくなったカールがとった行動。
それは、我が家に無数の風船をくくりつけ、家ごと空を飛ばせるという荒唐無稽なものでした。

ここで本作はそれまでのリアリティから打って変わって、一気にファンタジーの世界へ旅立っていきます。
ただし、その旅はカールだけではなく、闖入者である8歳の少年ラッセルを伴って。
このラッセルという少年、お年寄りの身の回りのお手伝いをするというボランティア団体のメンバーで、たまたま立ち寄ったのがカールの家。やむなくカールと行動するハメになったのでした。
注目すべきは、このラッセル少年がどうみても東洋系の顔をしているということ。
ここで思い出したのが、今年公開されたクリント・イーストウッドが監督・主演した『グラン・トリノ』。
あの作品もたった一人で暮らしている頑固な老人と、隣家の東洋系の少年との交流を描いており、いずれの作品にも登場する東洋系のキャラクターは、いうまでもなく多民族国家である現代のアメリカを象徴しているわけで、両作品ともたまたま似た設定になったのかもしれませんが、それだけアメリカの現状を象徴しているシチュエーションという意味において、じつに興味深いところでありました。


かように本作の前半が極めてリアリティを持ったものであるのに対し、中盤から後半にかけての展開が一転して極端なまでにファンタジー色で塗り固められているそのギャップには、いささか抵抗を感じてしまいました。
その、後半の展開については実際に映画を観ていただくとして、たしかに映画の前半で後半に連なるネタふりはされているものの、あまりに唐突過ぎる印象を受けたのです(家の階段の昇り降りも、自動昇降機を使わなければ容易にできないほどなのに、後半では考えられないくらいのアクションを披露してますし・・・)。

てっきり、後半は自然の猛威にカールがラッセルとともに立ち向かっていくのかと思っていた(それがための冒険だと)のですが、敵は自然ではなく・・・(ここまででご勘弁を)。
気になったのは、カールが亡き妻との夢を叶えるべく旅立つという、夢を持つこととそれを叶えることの素晴らしさを描く反面、後半の展開に登場するキャラクターが、主人公カールが幼い頃に抱いていた夢や希望、憧れをことごとく打ち砕く象徴であるという、そのアンビバレンツを含む作品であるというところ。
クリエイターは、いったいこれでもってなにを訴えかけたかったのでしょうか?


その後半の展開は、ディスニーらしく愛嬌のあるキャラクターが登場(無論、商品価値としてのキャラ設定であることはいまさら書くまでもないけど)し、ギャグも適度に散りばめられているのも従来どおりの流れであるし、僕自身も何度も笑わせていただきました。
しかし、何度も書きますが前半のシリアス・タッチな内容とは180°変わる後半に、ある種の戸惑いを感じたのは僕だけでしょうか?
たしかに後半の冒険を通じて、カールとラッセルの間に年齢を離れた友情が芽生えていくというのは、この手の作品の定石であり本作もその王道を行くものになっています。
考えるに、クリエイターはリアリティ重視な作品を目指したかったけれど、そこはディズニーという大きな商業主義の壁が立ちはだかっている。どうしてもそれを乗り越えることができなかった、いや、むしろそのスタイルを壊さずにおこうとと考えたのでしょうか。それによって、全体的なバランスが多少ちぐはぐになったとしても。


カールジイサンノソラトブイエ3
さらに穿った見方をするならば、劇場パンフレットにおける本作の監督、ピート・ドクターのコメントのなかに注目すべき言葉が記されていました。それは「現実逃避」というもの。
愛する妻に先立たれたカール。
厭世的な人間になった彼は建設業者の人間とトラブルを起こし裁判沙汰になってしまう。
挙げ句に強制的に老人ホームへ入れられ、妻との思い出の家は取り壊される。
精神的に強烈なダメージを受けたカールは、それを苦にして・・・(ここに原題の「UP」の意味が含まれている)。
以降の物語は、カールがあの世に旅立つその刹那に見た幻影だったのかもしれません。
ではラッセル少年とはいったい誰なのか?
無論、それは本来カールとエリーの間に生まれるはずだった子供であり、それさえもカールの刹那の幻影(失われた希望の象徴であった)なのですが、その幻影によってカールは報われるのです。
たとえ、この世からの旅立ちだったとしても(ただし、そうなるとラッセルが東洋人という設定は矛盾してしまうのですが)。

悲しくヘヴィな解釈だと思いますけど、そのように考えると前半と後半のギャップも納得できるのです。
一見ユーモラスなエンターテインメントでありながら、その実、かなり深い映画でもある。
それゆえ本作に対する僕自身の興味はますます強くなり、ゆえにディズニー&ピクサーの作品では、個人的には最も印象深い作品になりました。


さて、本作は字幕スーパー版の3D上映での鑑賞。
これまで、字幕が鮮明に再現されないので、3D上映は吹き替えにせざるを得ないと聞いていたのですが、本作ではまったくそういうことはなく、字幕もブレることなく鮮明に再現。
ただ、正直なところ本作における3D効果は、それほど効果的には思えなかったんですよね。
たしかにクライマックスのアクション・シーン等である程度の立体感はあるものの、特に感嘆するほどのものでもなく・・・。
これならば通常の2D上映のほうがメガネの重さの煩わしさを気にすることなく、スクリーンに没頭できると思います。
ま、個人差はあるでしょうけどね。

できれば、今度は2D上映で再度鑑賞して、先に書いた僕なりの解釈の正当性を確かめてみたいと思いました。


(TOHOシネマズ橿原にて鑑賞)

【採点:100点中75点】



※劇場ではいろんなキャラクター・グッズが販売されていましたが、なぜか肝心のカールじいさんのグッズがないのです。どういうこった?!
で、探してみたらこんなリアルなフィギュアが販売されていました。ただ、値段が・・・。



※同じく、ラッセルのフィギュア。
もっと安くならんのか・・・。



※お、こんなのもあったのか。これだったら、2体合わせてもお手ごろ値段。
ただし、ちょっとデフォルメし過ぎ・・・。なんでだ?




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