■『STAND BY ME ドラえもん』■(映画) 







スタンドバイミードラエモン
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8月8日に公開が始まり、未だに(10月11日現在)公開中という、今年の夏の大ヒット映画。
「ドラ泣き」なんて言葉も、普段映画を観ない連中までも口にしていたので、その浸透の度合いたるや相当なものだった。

原作コミックは、僕が幼少の頃に連載が始まった。
小学館の学習雑誌をずっと購入していたので、まさに僕は「ドラえもん世代」。
クラスでもコミック本を持っているのが当たり前だったし、僕もたしか1~2冊は持っていたかと思う。

ただ、とあるエピソードでのび太が『スターウォーズ』もどきの映画を観に行くというのがあり、ドラえもんのひみつ道具で「観たい場面を何度も観ることができる」というシークエンスがあった。
当時、『SW』にカルチャーショックを受け、一気にのめり込んでいた僕としては、のび太のその行動が許せなかった(単に羨ましかっただけだが)ことと、天下の藤子不二雄が『SW』のパチモンみたいな絵を描いたことが、『SW』至上主義だった僕には許せなかったのだ。

もちろん、それまでTVアニメでも藤子不二雄作品には慣れ親しんでいたし、「オバケのQ太郎」なんて、何度も再放送されていたので大好きな作品のひとつだったが、その一件で藤子不二雄に対する興味はさぁ~~~っと冷めてしまったのだ。
さらに88年のペンネーム改編事件(と勝手に僕が呼んでいるだけだが)にて、藤本弘氏がそれまでの手柄を独り占めしているように思えて(あくまで僕個人の勝手な解釈なのでご容赦)、それが藤子・F・不二雄氏に対する印象の悪さを加速させてしまったのだった。
ちなみに、『魔太郎がくる!!』、『ブラック商会変奇郎』を書いた安孫子素雄氏に対しては、さほど抵抗は無いし、この2作品はいまだに好きな作品でもある。

ってなことがあって、以後、『ドラえもん』そのものについては、まったく興味もわかなかったし、長編アニメ映画が毎回高収入を叩きだしていることも、映画ファンとしては耳にはしていたが、観たいとは思わなかった。
まして、声優が変わった! なんてニュースにしたって「へぇ、そうなんや」程度だったし。

そんな僕が今回の映画を観ようと思ったのは、単に話題作ということだったことと、監督したのが山崎貴氏だったということに尽きる。
いわば、山崎監督も「ドラえもん世代」でもあるので、彼がどのような「ドラえもん」の世界を見せてくれるのかという興味は相当に大きかったし、彼の作る作品におけるペーソスも嫌いではなかった。
彼なりの「ドラえもん」は、たとえオリジナルの世界観を逸脱していたとしても、原作に思い入れの薄い僕としてはそれはそれで全然構わないわけだし・・・。


まず、本編を観て驚いたのは、これが映画用のオリジナルストーリーではなかったこと。
たしかに、とっかかりは原作からの流用であっても、本編は山崎監督風の「ドラえもん」の世界が展開されているとてっきり思っていたのだ。
たしかに、「ドラ泣き」という表現がピッタリの、ペーソスあふれるエピソードが展開される。
そりゃそうだ、もともとそのあたりの評価の高いエピソードを原作から抽出して、1本の映画にしているのだから。
まぁ、予告編を観ていればそのあたりは察しがつくというものだが、これには正直裏切られた(僕の勝手な思い込み以外のなにものでもないのだが)思いだった。

パンフを読めば、山崎監督も今回の映画を作るにあたって、当初から原作の短編を使おうと考えていたようだ。
かつて、慣れ親しんだエピソードを自らの手でCG映画化する、というのはクリエイター冥利に尽きることだったことは理解できる。
しかし、クリエイターとしての独創性は希薄としか僕には見えなかった。

もちろん、CG映像化するには相当な労力が必要だろう。
しかし、トレースすることに労力を使うのならば、新たなものを生み出すことに労力を使う方がもっと意義があるのではないかと思うのだ。

幸い、国民的キャラである「ドラえもん」ゆえ、多くの観客に受け入れられた本作である。本作のスタッフにとっては、いい安全パイだったと思うのは辛辣だろうか。

美しいCG映像は、海外のそれに匹敵するほど優れたものだった。
CGゆえのスケール感も十分に活かされており、日常の風景でさえダイナミックに映える。
そういう実験的な要素としては素晴らしい作品である。
ただ、それ以上のものは残念ながら得ることはできなかった。



スタンドバイミードラエモン
スコアは山崎監督の常連である佐藤直紀氏が担当。

パンフに佐藤氏のコメントが掲載されていたが、今回は極力派手なスコアは控えておいたとのこと。

よくよく聴けば、けっこうダイナミックなスコアも琴線に触れるリリカルなスコアも流れている(それが観客の涙腺を緩めていることに、観客の多くは気づいていない)。
しかし、一貫したフレーズがほとんどなく、ゆえに耳に残らないスコアになっている。
無論、TVアニメでおなじみのフレーズなどは一切流れない(そもそも作曲家が違うし)。

控えめというのはそういうことを指しておられるのかと思うが、それが佐藤氏なりの「ドラえもん」に対するアプローチであり、そこには映像スタッフ以上に独創性を感じた。
『三丁目の夕日』のような、明確なテーマ曲が流れるスコアを期待していただけに、多少肩すかしな部分もなきにしもあらずだったが、ある意味妥協しない佐藤氏の姿勢には大いに共感を得ることができた。

ただ、毎回佐藤氏がスコアを担当する作品の宿命(?)というべきか、本作でもやはりスコアとはまったく関係のない主題歌が流れてくるのも残念至極だった。
いまや日本映画界を代表する作曲家の一人である佐藤氏に、エンドクレジットまできちっと彼のスコアを起用してくれる監督なりプロデューサーはいないのだろうか。

一度でいいから、エンドクレジットの最後の最後まで、佐藤氏によるスコアをじっくり聴いてみたいと思う映画音楽ファンは、決して僕だけではないはずだ。

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