或るスペシャリストの訃報 





2004年というから、もう8年前になる。

会社の同僚から、

「○○さん(僕の本名)、『パッチギ!』はもう観ました?」

と尋ねられた。

その方とは部署は違うが、同じ会社で働いていることもあって、いつだったかの忘年会の際に、映画の話で盛り上がったことがあり、以後、顔を合わせるたびに「最近はどんな映画を観た?」というような話をしていた。


当時、『パッチギ!』(04)は観た後ですぐにその年のベスト1に推したい(結果的にはベスト1だった)くらいに感銘を受けていたので、そんな話を同僚にすると、

「その映画の編集をしたのは、わたしの姉なんです」

とおっしゃった。

思いがけない話だったので、その時はたいそう驚いた。
驚きつつも、こんな身近に映画に深く携わっている方がおられるなんて、と、とても嬉しかった。
(もっとも、映画関係ではこれまた別の部署で、奥さんが元JAC(ジャパン・アクション・クラブ)で、TVの時代劇で古手川祐子を暗殺しに行ったことがあるという某課長氏もおられるが、それはまた別の話)


その同僚のお姉さんの名は、冨田伸子さんという。

同僚の話ではお姉さんの夫、つまり同僚の義理のお兄さん(冨田功氏)も映画の編集をされていて、夫婦揃って同じ仕事をされていたそうだが、2年前、つまり2002年に義理のお兄さんが亡くなって以来、夫の遺志を継いで編集の仕事を続けておられるということだった。


その日、帰宅するや急いで冨田伸子さんのことをネットで検索すると、その携わってこられた作品数の多さ、そしてなにより僕自身感銘を受けた作品もその中に幾つもあることに、またしても驚くとともにとても嬉しかった。

主に林海象、中原俊、滝田洋二郎、井筒和幸といった監督の作品に多く携わってらっしゃった。

林海象監督作品では、かの濱マイク・シリーズ三部作(94)~(96)や唐十郎主演の『海ほおずき』(96)なども手掛けてらっしゃる。
この頃の林海象監督作品には大いに感銘を受けて、これらの作品は欠かさず観たものだった。

中原俊監督作品では、冨田功氏が名作『櫻の園』(90)の編集を手がけ、監督自身が2008年にリ・イメージとして再びメガホンを取った際に、亡き冨田氏の遺志を継いで冨田さんが編集を手がけたという話を同僚から聞いた時には、まだ映画が完成されないうちからその話に感銘を受けたものだった(実際に完成した作品は、90年版とはまた違った魅力のある愛すべき映画に仕上がっていた)。

滝田洋二郎監督作品では、僕自身民俗学ファンでもあり、夢枕獏原作の映画化『陰陽師』(01)を夫婦で編集を担当され、続編『陰陽師Ⅱ』(03)も単独で担当されている。
続く、『阿修羅城の瞳』(05)『バッテリー』(07)も担当されていたが、スケジュールの都合で『おくりびと』(08)に参加できなかったのが残念そうだったと、同僚から聞かされたものだった。

とりわけ、井筒監督には絶大な信頼を置かれていた(これも同僚から常々聞かされていたことだった)ようで、遺作となった『黄金を抱いて翔べ』(12)のプロモーションでラジオ大阪の番組内でのインタビューにて井筒監督が、

「こちらが言わなくても、どこを切ってどこを残すか、そのタイミングが絶妙」

と大絶賛しておられた。

他にも個人的に印象深かった作品では、塙幸成監督の『初恋』(06)があるし、物語自体には強烈に嫌悪感を抱いたけれど『僕は妹に恋をする』(06)もある。

冨田伸子さんのフィルモグラフィーを調べているなかで、同時に先立たれた冨田さんの旦那さんである冨田功氏の偉業、たとえば『病院へ行こう』(90)、『桜の園』(90)では日本アカデミー賞最優秀編集賞を受賞されていることも知った。


映画を観る際に、一般的にどんな俳優が出演しているか、そして監督は誰か、というところに興味が向けられるものだが、僕の場合は映画音楽が趣味ということもあってなによりも先に作曲担当は誰かをチェックしてしまう。
それさえも「普通じゃない」(笑)のに、まして編集担当は誰なのか、ということころまではなかなか関心が向かなかった。

しかし、監督が撮影した膨大なフィルムを、監督の意向を汲んで必要なものを残す、あるいはカットし、1本の映画に仕上げる編集という作業は、それによって映画の印象も、そしてリズムも大きく変わってくる。

もちろん、編集だけでなく、衣装、照明、美術、そのほかいくつもの技術、いや芸術が混然一体となったのが映画である。つまり映画は総合芸術であり、それこそが映画の魅力であるというのは僕が常々思っていること。

だから、編集という仕事に対しても、もっと注目すべきことなのに、会社の同僚からお姉さんの話を聞くまでは、あまり興味も持ってなかったことは大いに恥ずべきことでもあった。



さて、その冨田伸子さんだが、大変残念なことについ先日急逝された。



それを知ったのは、会社の上司からだった。
数日前から同僚が会社を休んでいることは知ってはいたし、身内に不幸があったということも微かではあったが耳にしていた。が、それがよもやお姉さんだったとは・・・。

上司の話では、最初は身内だけの葬儀で済まそうとしていたとのこと。
映画関係の仕事をしていたとはいえ、いったいどれだけの人に連絡すればよいのか把握できなかったらしい。
が、冨田さんの訃報を知らない方々から、仕事の依頼の電話が次々と入ってくるし、その都度同僚は応対していたそうだが、その時になってはじめて身内だけで葬儀を済ますわけにないかないと実感したそうだ。

たしかに、冨田功氏が亡くなった時のことは、氏が編集を担当(冨田伸子さんと共同担当)した『壬生義士伝』(03)のサントラCDのライナーに、監督した滝田洋二郎氏がコメントを寄せていて、その年の東京国際映画祭にて冨田氏追悼のために久石譲氏が生演奏を披露したということだし、同僚の話でも葬儀には数多くの映画関係者に来ていただいたということだった。

だから、冨田さんの場合も担当された作品のフィルモグラフィーをみれば、これまた映画関係者だけでも相当な数に及ぶことは明らかだ。


一般的に映画関係者の訃報といえば、マスコミ等で報道されるのはでは俳優、監督、強いていえば作曲家くらいまでだろう。事実、今回の冨田さんの訃報もマスコミはおろか、ネットで検索してもほとんどヒットしない。

もちろん、先にも書いたが、映画が作られる過程において、編集という仕事の役割の大きさは、マスコミ等に掲載されるされないで測りきれないものがある。それを実感できるのは、誰でもない映画ファン一人一人なのだと思うし、それが映画ファンの特権である。

そんな中での冨田さんの訃報は、日本映画界における大きな損失だ。


いまは、冨田さんのご冥福をただただ祈りつつ、その遺志や技術が次の世代に受け継がれていくことを切に願う次第である。


「瞬きの 光と影を 紡ぐ指」


合掌。




追伸、
実際に冨田さんの葬儀に参列することは叶いませんでしたが、おこがましくも今週末の僕の番組では、ささやかながら冨田伸子さんの追悼特集をお送りさせていただきます。

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