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2011年ミナミの旅・夏(その4) 


精華小学校1
南街会館から、来た道を少し戻って北に曲がったところに、精華小学校があります。

この小学校はミナミという繁華街のど真ん中にありまして、開校は明治6年。
第二次大戦の際には、大阪は空襲で焼け野原になったにも関わらず、この学校は焼けなかったんですよね。

しかし、都市部の過疎化で学童が減少したため、95年に閉校となってしまいました。

その後、ここのグラウンドでは、たとえば唐十郎氏の唐組がテントを張って、芝居を公演したりして、いわゆる演劇の場として再利用され、2004年に精華小劇場として再スタートを切ったのでした。

と、知ったかのように書いてますが、僕自身、この小学校が劇場に生まれ変わっていたことは、まったく知らなかったんですよ、お恥ずかしいことで。
ただ、何度かこの横を通ると、グラウンドで役者さんたちが稽古をしてらっしゃる姿を何度か目撃したので、てっきり唐組のように、テントを張っての興行が行われているんだ、とばかり思っていました。

ちゃんと校舎内を劇場に改築されていたんですね・・・。

【公式サイトはコチラ!】
精華小学校2
しかし、上でリンクを貼っております精華小劇場の公式サイトによると、今年の3月いっぱいで閉館になったとのこと・・・。

劇場が開設されていたことも、そして閉館になったことも、関西にいながらまったく知らなかったというのは、ほんとうに恥ずかしいかぎり。






精華小学校3
現在は、フェンスに架かった注意書き以外に、ここに劇場があったことを物語る術はないようで・・・。

















松竹座1
千日前から阪神高速15号線の高架をくぐって北上すれば道頓堀。

千日前がどちらかといえば東宝系の映画館が多いのに比べ、道頓堀は松竹系がメインでした。
というのも、かつての道頓堀は歌舞伎の芝居小屋が軒を連ねていて、その興行主が松竹だったため。
その芝居小屋もやがてはその多くが映画館に変わり、さらに近年シネコン(なんばパークスシネマ)ができると、すべてそこに吸収された形になって、いまや道頓堀には映画館は一軒もない状態になりました。

かくいう僕も、かつては道頓堀の映画館へもよく通ったものですが、地元の奈良県内にシネコンができるやいなや、道頓堀からは足が遠のいてしまったような次第。


さて、道頓堀の西の端には、松竹の名前を冠に戴いた松竹座があります。

大正12年(1923)に開業した当時のそのままのネオ・ルネッサンス様式の外観は、映画館というよりも博物館のような荘厳な様相には圧倒されます。
写真を撮った日には、ちょうど建物の前を観光客とおぼしき海外の方が通りがかって、写真だけを見るとなんだか日本じゃないみたいですね(笑)

松竹座2
この松竹座でもかなりの作品を観ましたが、建物の老朽化の波には勝てず、94年にはとうとう閉館となりました。

たしかに、外観も内観独特の雰囲気をもっていた小屋でしたが、晩年はトイレの壁も崩れたまま修理されてなかったり、音響設備もけっして良いとはいえず、閉館も仕方ないか・・・とも思ったものです。

閉館間際には、いわゆる超大作のリバイバル上映が催され、僕も『2001年宇宙の旅』(68)を観ました。

フィルムの状態もあまり良いものではなく(たしか、ニュープリントではなかったような)、ノイズなんて爆音(笑)のごとき。

でも、それまでビデオやDVDで何度も観ている作品でしたが、大画面で観ることの醍醐味は十分味わえたものでした。


松竹座3
閉館後、大々的な改造が行われて、現在は歌舞伎や芝居といったライブの演劇空間として生まれ変わったのですが、ありがたいことに荘厳な外観建築はそのまま残されたのは嬉しかったですね。

写真を撮った日は、ジャニーズ製作のミュージカルが公演されていましたが、「本日休演」だったのはちょいと寂しかったですねぇ・・・。






ナンバ一番跡2
松竹座の東側には、かつてナンバ一番というライブ・スペースがありました。
僕の母親もその昔、ここで丸山明宏のライブを観に行ったそうな。

で、このナンバ一番ですが、ビル自体が閉鎖され、随分長い間放置されていました。
僕が映画を観に、道頓堀へよく行ってた頃は、建物全体にツタがからまって、そりゃあもう周囲の建物から考えれば異質な一角でしたねぇ(再三、市から崩落の危険があるので、撤去せよ! という勧告文が建物に貼られていたっけ)。


それがかれこれ10年くらい前に、その建物は壊されて現在はご覧にようにTSUTAYAに変貌。1階にはスタバもありまっせ。


道頓堀かに道楽
ちなみに、このナンバ一番の向かい側には、ご存知、かに道楽。
ま、この界隈でカメラを持ってる人って、たいがいこちらを映すものですが、僕は観光客じゃありませんので・・・(苦笑)









浪花座跡
そのまま道頓堀を東に進めば、かつて浪花座があった場所。

ここは映画館だったり寄席だったり、年代によって様相が変わっていましたが、映画を観に通っていた頃は1回が浪花座1、2階が浪花座2という名前で分かれていたものです。

浪花座もよく行った映画館で、ここではかの『ブレードランナー』(82)を観ております。

その浪花座も、シネコン(なんばパークスシネマ)に吸収されるような形で閉館となり、いまでは白い壁に囲われておりました。

その隅っこには竹本座跡の碑。
かの近松門左衛門ゆかりの劇場がここにあったのですが、そんな碑さえいまではゴミ箱の裏になっている始末・・・。
浪花座で映画を観る際、チケットカウンターがこの碑の左隣にありまして、それなりの風格ってものがあったんですけどねぇ。


中座跡
さらに東へ進めば、かつて中座のあった場所。

中座は映画館ではなく芝居小屋で、演歌歌手の芝居とコンサートみたいな興行がよく行われていました。
映画館じゃなかったので、一度もここへは入ったことがなかったんですけど、やっぱり中座も閉館となり、いまではここにくいだおれ太郎(彼のフキダシが笑わせてくれます。あ、観光に来たとおぼしきおね~さんが写真撮ってるぞ!)が鎮座している、食堂ビルに変貌。

ただし、その名前(中座くいだおれビル)に当時の名残が僅かに残っているのは、大阪人の粋というものでしょうか。


角座跡
さらに東へ進めば角座があった場所。

ここもビルになっていて、2館の映画館が入っておりよく通いました。
映画館としては道頓堀では新しいほうだったので、けっこう内装もキレイだったし、係りのおね~さんも親切かつ美人が多かった(と思う)。

クーブリックの『アイズ・ワイド・シャット』(99)をここで観た際、パンフが初日に間に合わなくて発売されてなかったんですけど、来週には入荷される云々と詳しい説明をしてくれた係りのおね~さんはいま何処?

こちらもシネコンに吸収される形で閉館。
いまは白い壁に囲われてますが、その前では立ち退き問題で一時話題となった、「大たこ」が店を出してましたよ。


道頓堀東映跡
さらにさらに東へ進めば、かつて道頓堀東映会館のあった場所。

地上には道頓堀東映があって邦画を、地下には道頓堀東映パラスがあって洋画を上映してました。

特に道頓堀東映パラスは、僕のツボを攻撃するような映画をよく上映してくれました。
『クリープショー』(82)(同時上映は『XYZマーダーズ』)、『キング・オブ・デストロイヤー コナンPART2』(84)、などなど。

そうそう、『食人大統領アミン』(81)もここで観たなぁ・・・。

こちらもシネコン吸収とともに閉館。
閉館の際には東映の名作をリバイバル上映してくれたのですが、時間が合わずに行けなかったのが悔やまれました。

現在はやっぱり白い壁に囲まれてます。
そのまん前に路上生活者とおぼしきおっちゃんが座っており、写真を撮ろうとしたら睨まれたので、ちょっと遠方から撮ってます(なんで睨まれなアカンねん。あんたの土地かよ! ちなみにそのおっちゃん、青い帽子の清掃員さんに隠れてしまってます)。

コメント

>竜作さま

僕も松竹座、改装後は一度も入ったことがありません。
どのようになっているか、興味はあるのですが。


道頓堀ピカデリー、そうでしたそういう名前でしたね!
後に、浪花座1、2みたいな名前に替わったんでしたっけ?
僕もここで『タイタンの戦い』観ましたよ!!


角座はほんとうにキレイな小屋で好きだったんですが、結局のところ他のに較べると短命になったわけですね。

コーエン兄弟の『未来は今』もここで観ましたなぁ・・・。

で、さよなら興行はなかったんですね。勿体ない・・・。


道頓堀東映パラス、そして道頓堀東映、道頓堀でも一番端っこ(それを言えば松竹座もそうですけど)で、特に道頓堀東映はあまり通わなかったんです。

『花園の迷宮』、『蔵』、『新宿鮫』くらいしか観てないんですよ。
パラスのほうはヘンな映画、いろいろ観ましたが・・・(笑)

松竹座も、ミナミを代表する大劇場でしたね。
初めて入ったのは『エクソシスト』でしたが、
この時はもちろん映画館の名前など知らず、
後年に記憶を頼りに気づくのですが。
入り口に、松竹プレイガイドという名前でしたかの、
小さなパンフレット売り場があり、そこも良く利用しました。
さよなら興行では『ドクトル・ジバゴ』『大いなる西部』
『未知との遭遇』『ゴッドファーザー』を観ました。
改装後は一度も入っていません。

浪花座の2階、70年代は道頓堀ピカデリーという名前でしたね。
その頃『エクソシスト2』を観ています。
『ブレード・ランナー』私も浪花座でした!
同時期には『タイタンの戦い』とか『レッズ』など観ましたね。

角座が出来たのは、86年頃だったでしょうか。
出来立ての頃『ハワード・ザ・ダック』を観ています。
老舗の劇場ではない分、設備もそれなりに良かったですよね。
『アイズ・ワイド・シャット』もココで観ました。
最初は、洋画がSY角座、邦画が松竹角座でしたが、
いつからか、角座1、角座2となっていました。
この劇場は、さよなら興行もなく、パークスシネマ開業の前日、
ひっそりと閉館しましたね。

道頓堀東映パラスも良く行った劇場です。
晩年の頃は、金券ショップで招待券を安く買って入るという、
あまり良い客ではなかったですが・・・。
さよなら興行は入れ替えなしで、東映の邦画を数本上映していましたね。
ただ平日だったんで、1日入り浸る事は叶わず、
仕事を定時で終えて、最後の1本は何とか観れました。
道頓堀東映最後の作品、それは健さんの『鉄道員(ぽっぽや)』でした。
東映の終焉に相応しい映画でしたね。

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