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■『女の子ものがたり』■(映画) 


オンナノコモノガタリ
マセガキだった僕は、ガキンチョの頃は女子の身体には興味があっても(いや、ごく自然にって意味ですよ。誤解なきように・・・)、女子同士の友情とかなんとか、そっちのほうはちっとも興味はございませんでした(そりゃぁ僕は男だもの)。というか、その頃の僕は女子ってのは僕ら男子とは別の人種だと思ってましたからねぇ。
いつまでも男子が幼稚なことばかりやっているのにくらべ、女子は学力やら物言いやらにおいて、いつしか「お、おとなやん・・・」と驚愕する時期にぶち当たるもので、女子ってのは男子と違って独自の進化をとげているんじゃないかって思っていたわけです。


ところで、西原理恵子の原作漫画の実写映画化といえば、同じケースでは先に『いけちゃんとぼく』がありました。また、「毎日かあさん」がTVアニメ化されたりと、今年は「西原イヤー」なんて言われているようです。
件の『いけちゃん~』は、おそらく原作のニュアンスを映像で表現しようとしたんでしょう(僕は原作未読です)か、やたらと登場人物をデフォルメして描いたばかりに、そのすべてがことごとく裏目に出てしまった感があります。
日常の出来事を笑いとペーソスで切り取り、そこにどこか哲学的な香りで味付けした西原作品(といいつつ、あまり多く読んでませんが。「ちくろ幼稚園」と現在新聞連載中の「毎日かあさん」は好きですよ)において、登場人物も多少エキセントリックな描かれ方もされている。しかし、それはあくまで隠し味のようなものであるわけで、わざわざSFXでもって引っ張り出した『いけちゃんとぼく』は、作り手の考えはわからなくもないですが、どうも方向性の相違が気になった映画でした。


さて、そんな独自の進化を遂げる女子の実態を描いた(笑)のが本作。

こちらも原作は未読なんですけど、やっぱり『いけちゃん~』と同じような作りなのかな、と思っていたら、こちらはいわゆる正攻法でストーリーが坦々と語られるという内容になっていたので、まずはほっと一安心。
西原理恵子の自伝的作品なのだそうで、深津絵里がヒロインの漫画家を好演。
スランプ気味の彼女は日中からビールを飲むわ、居眠りするわで福士誠治演じる出版担当者にせっつかれてもまったくやる気ナッシング。
そんな彼女が、ふと自分の幼い頃、そして高校生の頃を回想するなかで、あらためて前向きに人生を歩んでいこうという、かいつまんで書けばそんなお話。


本編のほとんどがその回想シーンで占められていて、ヒロインの少女時代を森迫永依、高校生の頃を大後寿々花がそれぞれ熱演しています。そこにきいちゃんとみさちゃんという幼馴染みが加わっての、文字通り女の子3人のものがたりが描かれていく。
愛媛県を舞台に、そこで育った女性の多くはやがて地元を離れていくか、あるいは離れていきたいという願望があるものの、地方ゆえの閉塞感のなかにおける、あらゆるしがらみゆえそれが叶わないもどかしさを、3人の女性の姿を通して語られるのですが、ともすれば暗く重くなりがちな物語を、映画はあくまで瑞々しく爽やかに綴っていくそのギャップがじつに効果的でした。

ヒロインを筆頭に登場する女の子それぞれが人間的な魅力にあふれていて、個々に悩みや問題(そのほとんどが、やはり女性である母親との関係に端を発したものであるところに注目)を抱えていながらも、3人がいればそれさえも笑い話に転換できる、そのおおらかさがいいんですよ。
マイナスな要素をすべて受け入れてプラスに転換できる、女性が持つ包容力というんでしょうか、そういうものを本作から感じました。
なるほど、僕がガキンチョの頃に抱いた女子って別の生き物、というその感覚は、もちろん同世代の男子だっていろいろ悩みや問題を抱えてはいても、それを跳ね除けることはできても、女性のように包み込むことはできないんですよね。
そんな包容力が精神年齢として現れて来るのだなぁ、と、いい大人になってようやく本作を観て気づいた次第です。


ってことを考えると、興味深いのは本作を監督したのは女性ではなく男性だというところ。

特に高校生の頃のヒロインたち(を演じる女優。大後寿々花、波瑠、高山侑子。こんなきれいどころ、とてもじゃないが田舎にはおりまへんで)が、ことごとく美女揃い(笑)っていうのがリアリティという意味ではかなりかけ離れた印象があります。
しかも、描かれるエピソードは、決して都会的でオッシャレ~なトレンディ・ドラマ(死語)ではなく、たとえば今村昌平作品における土着的な泥臭さがぷんぷん漂っているというのに。
ここに監督の女性に対する想い(それは願望と呼べるかもしれません)が、そのキャスティングから垣間見える気がするんですよね。

いささか女性への憧れや願望が過剰なんじゃないのか、と最初のうちは思ったものの、しかし、その現実からかけ離れた要素を本作に加えることで、かえって物語が抱いている本質を浮き彫りにさせているのは、これはお見事だと思いました。
特に本作のクライマックスにおいて、男性の憧れや願望を体現したかのようなミューズたちが、文字通り泥だらけになりながら本音をぶつけ合う場面は、まさに本作の真骨頂であり、監督の狙いがストレートに伝わってくる名シーン。
こういうところにも、本作を監督した森岡利行氏の視点にはシンパシーを感じましたねぇ。


本作に対して「女性版スタンド・バイ・ミー」という表現がなされていましたが、たしかに子供の頃の回想という意味では共通するかもしれません。
しかし、ニュアンスとしてはまったくの別ものだと思います。
男子には男子の、女子には女子の友情の物語があって、双方は似ている部分もあればまた違う要素も備えている。
とりわけ本作では件のクライマックスからラストにかけて展開される、何度も書きますが女性特有の包容力による友人に対する惜しみない愛情と、あるあらゆる物事を次の世代へ引き継ぐという女性特有の力が見事に描かれていて、それゆえ性別を超えた人間レベルでの感動を観る者に与えてくれるのです。

エンドクレジットに流れる持田香織によるヴォーカル・ナンバー「タオ」が、映画の世界に見事にマッチしていて、余韻を大切にした映画だなぁと思いました。

(MOVIX橿原にて鑑賞)

【採点:100点中70点】


※西原理恵子による原作。
ぜひ読んでみたいものです。



※エンドクレジットに流れるナンバー「タオ」は、持田香織、原田郁子(クラムボン)、そして全編のスコア(未サントラ化)を担当した、おおはた雄一とのコラボ作品。
持田香織のソロ・アルバム、『moka』に収録されています。



※こちらは『moka』の通常盤。



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