■『ゲゲゲの女房』■(映画) 


ゲゲゲノニョウボウ
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ご存知、漫画家水木しげる夫人である武良布枝さんが書いたエッセイの映画化。

映画公開に先立ちNHKにてドラマ化され、高視聴率を記録したのも記憶に新しいところですが、企画としては映画化のほうが先だったとのこと。

主演は僕の地元出身の吹石一恵(以下、フッキー)なのですが、地元の奈良にはシネコンが3つもあるにも関わらず、全国公開の2010年11月6日にはそのいずれのシネコンでも上映されませんでした。
これはどうしたものか、と残念に思っていたところ、年が明けてようやくワーナーマイカルシネマズ西大和にて遅ればせながらの上映と相成りました。


ドラマ版における松下奈緒と向井理が演じた水木夫妻を、映画ではフッキーと宮藤官九郎がどのように演じるのか、という興味もさることながら、結果的には後発という形になった映画版ですから、ドラマの感動をもう一度、という思いでこの作品を観に行ったのは僕だけではないでしょう。

しかし、観終わって、正直なところ面食らってしまったのも僕だけではないと思います。


島根の酒屋の娘、布枝(フッキー)は親の薦めで、漫画家の武良茂(宮藤官九郎)と見合いし5日後に結婚。
故郷を離れて茂の住む東京郊外の家での生活が始まるも、とにかく貧乏な日々が彼女を待っていたのでした。

映画は、そんな赤貧生活の末、ようやく茂に雑誌連載の話が舞いこんでくる、というところで終ります。

・・・は? なんじゃこりゃ?

いや、原作を読んでないので詳しいことはわかりませんが、ドラマ版ではその先もずっと描かれていたのに対し、映画は時間に制約があるとはいえ、そんなところで唐突に終わりですかぃ? というところにまず面食らいました。


それよりなにより、ドラマ版と映像のタッチも登場人物の描き方も映画版はまるで違うのです。

もちろん、ドラマ版はNHKの朝の連続ドラマということで、多くの視聴者の共感を集めるべく、いわば最大公約数的な内容になるのは当然といえば当然なこと。
いくら貧しくとも、ポジティヴなキャラだったドラマ版の布枝に対し、貧乏生活に対してあからさまに不満不平な態度を取る映画版の布枝というように、その描き方がまったく違うのです。
なんせ、劇中における布枝のほとんどの場面がふくれっ面ですから、とにかく観ていて気が滅入るってなもので。
さらに、下宿している漫画家(村上淳)に対しても、罵詈雑言投げつける布枝の姿は、ドラマ版に慣れ親しんだ者には衝撃的ですらあります。


また、これは本作の監督である鈴木卓爾監督独自の演出なんでしょうが、布枝の実家の茶の間にはごく普通に妖怪(徳井優演じるぬらりひょん)がいて一緒にご飯を食べていたり、茂の家の近所の川や空き地にもごく普通に妖怪が闊歩しています。
もちろん、水木しげるという作家の作品を読んでいれば、日常生活のなかにも妖怪が息づいているという描写を具体的に表現した、というのも受け入れられなくもないこと。

さらには、たとえば布枝が初めて東京に到着した際の東京駅の描写では、普通に現代の東京駅が出てくる(突然、物語は布枝の娘の時代になったのか、と思ったよ)とか、茂の家の近所に高層マンションがそびえ立っているとか、時間を捻じ曲げるような独特な演出は監督の手法のひとつ(まさか、編集作業でノーチェックだったわけではあるまい)なんでしょうけど、とにかくシュールなんです。

さらにいえば、茂の母親の描写。
ドラマ版では竹下景子が茂の母を演じていましたが、映画版では南果歩が母親役。
で、映画ではほんの数シーンしか登場はないのですが、これがとにかく異様。
彼女は布枝の横に突然現れると、布枝に茂のことをあれこれ話す(体が弱いから気をつけてやってくれとか、そんなの)と唐突に消えてしまうのです。
でも、布枝はそれをまったく無視・・・。

これは、布枝が茂の母親の言葉を思い返しているという描写なんでしょうけど、これとてドラマ版では相当な出演場面のあった茂の母ですから、映画版におけるその扱いというか描写には、やっぱり「はぁ?」ってなもんです。


鈴木慶一による音楽もみょうちきりんだし、主題歌も珍妙このうえない。
ドラマ版における、いきものがかりによるあの清々しい主題歌を期待していると、相当に肩透かし食らわされます。


かように、ドラマ版と今回の映画版、同じ原作を基にしていても、演出が変わるとこれほどまでに仕上がりも変わって来るのは実に興味深いことで。
夫婦共に手を取り合って・・・、というような描写を前面に出していたドラマ版に対し、もちろん、映画版でもそのような描写はあるけれど、じつにさりげないんです。

じゃあ、この映画版がダメだったのか、というとそうではなく、ドラマ版を無いものとしてこの映画を考えてみれば、これはこれでアリなんじゃないか。
先にも書いたように、シュールな映像の連続(妖怪が普通に跋扈してたり、現在の東京が登場したり、幻のように現れる茂の母親など)は、たとえば寺山修司の作風に通じるものがあります(おそらく監督は相当に寺山修司作品を意識してるんじゃないか、と思いましたよ。事実はともかく)。

劇中、布枝が柱の振子時計のゼンマイを巻くシーンが幾つか出てくるんですけど、これなども監督がこの映画のなかで扱っている時間というものに対するこだわり(何度も書きますが、現在の東京が唐突に現れることの時間の歪みなど)が如実になったもので、共に苦労の日々を送った夫婦の時間を演出するのに、過剰にドラマティックに描かずとも伝えられる術を忍ばせているのです。

考えてみれば、実際に赤貧な生活を送っていたら、ドラマ版のようなキレイごとばかりでは済まないわけで、布枝が終始ふくれっ面で罵詈雑言まくしたてているというほうが信憑性があります。
ただし、そういったどちらかといえばネガティヴな描写の連続は、どうしても観客を選んでしまうことになるわけで、そういう意味でもつくづく分の悪い映画だったよなぁ・・・と思うんですよね。


ゲゲゲノニョウボウ
全編のスコアを担当したのは、先に少し触れましたが、劇中、貸本屋の主人役でも登場している鈴木慶一。

これとて、ドラマ版における窪田ミナによるスコアとは相当に様相が違っており、いわゆるメロディで盛り上げるというようなスコアではなく、けっこう前衛的なものになっているのもシュールな映像に合わせてのことでしょうか。

エンドクレジットに流れる妙ちきりんなナンバー「ゲゲゲの女房のうた」は、監督自らが作詞し、鈴木慶一と小島麻由美によるデュエット・ソング。
何度も書きますが、ドラマ版におけるいきものがかりのあのナンバーから受けるイメージとはまったく違ったものを与えてくれますよ。

(ワーナーマイカルシネマズ西大和にて鑑賞)

【採点:100点中50点】


※本作のサントラ。


※こちらは主題歌である「ゲゲゲの女房のうた」のシングルカット。


※こちらも来月、DVDが出ます。
4月27日リリース。





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