■『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』■(DVD)※加筆済※ 



おんなごくもんちょうひきさかれたにそう
77年公開の東映映画。
監督は東映異常性愛路線の作品をいくつも監督した牧口雄二。
併映(というか、こっちがメインなんだけど)は『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』(主演:菅原文太)。

77年といえばすでに父に手を引かれ、あらゆる映画を観に行っていた。

月に1~2回、日曜日に父は好きな競艇に行って、その帰りに映画館へ行くというのがパターンになっており、僕は競艇は興味なかった(幼少から興味あるほうがおかしいけど。もっとも僕は競艇場で売ってるイカ焼きを買ってもらうのが目当てだった)わけで、その帰りの映画館が楽しみだった。
競艇で勝てばロードショー作品、負ければ名画座(千日前、新世界、布施あたり)というのパターンで、小ぎれいなロードショー館も好きだったが、2~3本立てが普通だった名画座もいろんな映画が観れるということで好きだった(たいてい場内はタバコの煙、床はヤニでベタベタな小屋が多かったけど)。

そんな中、東映作品もかなり観に行った記憶があるが(それがいったい何という作品なのか、膨大すぎて整理できていないのが正直なところ)、この本作は観たおぼえがない。

それは本作の牧口雄二監督の他の作品、たとえば『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』についても同じこと。
ただ、『~牛裂きの刑』は、磔にされた女性の構図のポスターには、幼少の頃に強烈な印象を受けたものだった。
おそらく東大阪は布施の映画館で上映されていた頃に、街角に貼り出されていたポスターを観たんだと思う。

昔の近鉄布施駅は現在のような高架式の駅舎ではなく地上にあった。
片方のホームへ行くには地下道をくぐる形式になっており、その薄暗い地下道に当時布施駅周辺に数多くあった映画館で上映中のポスターが、何枚も貼り出されていたのだ。
ポスターは記憶にあっても本編は観たことがない。
想像するにこういったエロ・グロ映画は子供に観せたらあかん、と父が判断したのだろう。
まぁ、作品そのものが成人映画扱いだったし、あえて見せなかったのか、あるいはひょっとしたら父一人で出かけた時に観ていたのかもしれない。
とはいいながら、洋画のそういった珍奇な映画は、普通に僕も観てたけどね。『悪魔のいけにえ』や『処女の生血』とかね。
2~3本立ての映画の中に、1作だけ成人映画が組み込まれているということも、しばしなあった。
そういう時は、モギリのおばちゃんかおっちゃんが、
「成人映画もあるんやけどなぁ」
と父に注意(というほどのもんじゃないけど)していたことも何度かあったが、
「子供やから、わからへんわからへん」
とそのたびに父が答えていたこともあったっけ。
たしかに、あまりに幼少の時は、スクリーンでなにが映し出されているのか理解できなかったけど、小学校の低学年くらいになれば、だいたいのことはわかるもんで(笑)
まぁ、父親からすれば情操教育もへったくれもなかったんだろうが、後年よく父が口にしていたのは、きれいなこともそうじゃないことも隠さず見せることが大事、と言ってたもので。
映画館へ僕を連れて行ったのも、そういうことの一環だったんだろうな。


大人になり、東京で単身赴任をしていた頃、品川区の大井町に今は亡き、大井武蔵野館という知る人ぞ知る映画館があって、ここではいわゆるカルトな映画を独自のラインナップで上映していた。
暮らしていたのが江戸川区だったので、ここへ行くのは結構遠かったこともあって、ほんの数回しか訪れたことがなかったが、上に挙げた牧口作品や石井作品も繰り返し上映されていたと思う。
情報誌「ぴあ」で上映情報を眺めては切歯扼腕していたことも数知れずだった。

いまやこの手のカルト映画も、最後の砦といわれた『~恐怖奇形人間』が、今年無事DVD化(サントラCDまでリリース!)されたこともあり、多くの方が鑑賞可能になったが、数年前まではこの大井武蔵野館のような小屋がなければ、映像としての資料は輸入版DVDを購入する以外に方法は限られていたんじゃないかと思う。
(あ、いまは東京にはラピュタ阿佐ヶ谷とかいう小屋があるんだっけ?)
大阪にも、新世界東映という稀有な映画館があるが、ここでかかるのは主にカルトな方じゃなく、2本立て興行作品でいえばメインの方の作品を中心にプログラムが組まれるのが定番なのが惜しい(本作でいえば、上に挙げた『~人斬り鉄』の方ね)。


さて、数年前より東映ビデオも、それまで封印されてきた、カルトな映画を精力的にDVD化してリリースしている。
おそらくは海外の輸入版DVD(国内ではリリースされず、米国ではリリースされるという変な現象だったな)を買い求める方が多くなったり、それをコピーした粗悪な海賊版DVDにお金が流れていくことを阻止するためなのだろう。

いずれにせよ、レイティングが細かく定められ、映像表現の規制が厳しくなった折、その反面こうしてDVD化されて、幻のカルト映画群が手ごろに茶の間で観ることができるようになったのは、時代に反比例していいことだと思う。
もちろん、描かれる内容は常識人からすれば、眉をひそめ、目を背ける作品が多いことだろう。
しかし、そういった作品は当時の活動屋たちが、いかに観客を楽しませてやろうかという智恵を搾ったうえでのバイタリティとサービス精神の表れであり、多少それがゆがんだ形だとしても一つの形として結実したのが、これら「東映異常性愛路線」の作品群なんだと思う。


ここ数年はレンタルショップへ出向いて映像作品を借りるという習慣がまったくなくなった。
よく行ってた近所のレンタルショップがことごとくなくなった上に、自宅で映像作品を観る時間もなくなったのが大きな理由だが、それでも観たいと思った作品があれば、いまは某ツ○ヤのネットレンタルを利用している。
(ネットが発達したのも、ショップがなくなった大きな要因なんだろうけど)
牧口監督の『~牛裂きの刑』や『毒婦お伝と首切り浅』などはこれで観たわけだが、なぜか『~引き裂かれた尼僧』だけがラインナップにない。
なんで? と思いつつ、よくよく探してみればなんてことはない、「成人映画」扱いになっていた。
それだったら『~牛裂きの刑』だって「成人映画」だろうよ(笑)
でも、こちらは「成人映画」扱いではないという、ツ○ヤのスタッフもなんだかいい加減だなぁ・・・ということで、まぁ、そんなこんなでようやく『~引き裂かれた尼僧』を借りることが出来、晴れて本編を観る事ができたわけだ。


※以下、ストーリーについて触れる。いわゆるネタバレもしているので、まったく知りたくないという方は、読み飛ばしていただきたい。
引き裂かれた3
江戸時代。
開巻早々、足抜けした女郎おみの(田島はるか)が、ボロボロになりながら逃げている。
演じる田島はるかは、高橋伴明監督の作品の端役で出演していたのを牧口監督が見初めたんだとか。
彼女がインドが好きだということで、芸名の由来はタージマハール。
この映画のギャラでインドへ行く夢を抱いていたという。
引き裂かれた2
だんごっ鼻のコケティッシュな女優で、いまでいえば二階堂ふみみたいな感じ。
雪の中を転げ落ちたり、大根やふきのとうを生でかじったり、のっけからから相当にハードだ。
これもインドに行くため、と我慢していたんだろうな。


それを追う岡場所の弥太八(汐路章)と亀(佐藤蛾次郎)。
いわゆる悪役だが、この陰惨とした映画のなかでコメディ・リリーフ的な役割を担っている。
やることはえげつないけどね(ここでは敢えて書かないけど)。
引き裂かれた5
ここでおもむろに挟み込まれる回想シーン。
おみのはその夜の客(いまや、誠実な豆腐屋を演じる主演映画まで作られるようになった小林稔侍。いきなり濃厚なお布団シーンを展開してくれますよ)に、一緒に逃げるよう頼み、足抜けしようとするのだが、すぐに弥太八らに見つかって哀れ稔侍はその場で殺される。
その隙をみて逃げ出すおみの。

引き裂かれた6
おみのは途中、二人組みの猟師(片桐竜次と野口貴史。前者はいまや『相棒』で警察のえらいさん。後者も息の長い俳優さんだな)に襲われさらにボロボロに。

その後、イケメンの行商人、伊三郎(成瀬正。現:成瀬正孝)に助けられて、ようやく目指す駆け込み寺へとたどりつく。

引き裂かれた8
寺には美しい庵主、桂秀尼(折口亜矢。藤田敏八監督作品でデビューし本作が2作目。その後、映画の世界を離れてダンス界で活躍されているとか)と、修行中の三人の女性、おかじ(ひろみ麻耶。 『女教師 少年狩り』での彼女は僕の幼少期のトラウマだ。本作では蛇好きという設定だが、本人もほんとに蛇が好きで撮影で使った蛇を持って帰ったそうな。だが、クランクアップの翌日に麻薬で逮捕される。にしきのあきらに麻薬を提供していて、二人とも逮捕されたのは有名な話)、おつな(芹田かおり。撮影中に逃げ出したところを京都駅で監督らに連れ戻される。猫好きという設定。劇中で猫の死体が出てくるがやけにリアルだなと思ったら、麻酔で眠らせるつもりが本当に死んでしまったという。それが嫌で逃げ出したんだろうか)、おとく(藤ひろ子。ピンク映画にいろいろ出てらっしゃいましたな。本作でも胸をさらけ出す場面はあるけど、それよりエキセントリックな芝居で後半の空気全部持って行きます)、そして口の利けない少女小夜(佐藤美鈴)がいた。
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おつなの話では、桂秀尼はとある旗本の娘だったが、男に騙されて下女の小夜を連れ流浪の果てにこの寺にたどり着き、先代の庵主に助けられたのだという。

彼女たちが読経している本堂には、即身仏(蛆がたかっているのが、なんとも悪趣味。『サンゲリア』かよ。中に人が入ってて、微妙に動いてるし)が安置されているが、これが先代の庵主なのだろうか。
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ある日、寺に一組の駆け落ちカップルがやってくる。
嘉助(五十嵐義弘)、お絹(内村レナ。『~牛裂きの刑』で牛裂きされたのに、本作ではちゃんと体くっついてます)を親切にかくまってやる桂秀尼。
ここで二人の濃厚なお布団シーン(本作はそもそも「成人映画」、いわゆる「ポルノ映画」扱いだったのを、いまになって気づく。こんな内容で当時のおっちゃんたちは満足したんだろうか?)が展開される。
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しかし、翌朝、嘉助の姿が見えなくなる。
不審に思ったおみのとお絹は、小夜の指し示す寺の裏に回ってみると・・・。




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ボッサボサの頭に顔面白塗りの寺男、作造(志賀勝)が、生肉の塊をナタでバラバラにしてるじゃあ~~~りませんか!!

大きな鍋で肉塊をぐつぐつ煮て、それにくらいつく作造と小夜。
お絹はその肉塊が嘉助だと察知し、狂乱のあまり首をくくってしまう。

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駆け込み寺とは表の顔で、この寺は迷い込んだ男を食い物(本当の意味での)にしていた、おそるべき食人寺だったのだ。
境内で栽培されているのは真っ赤なケシの花。
これで夜な夜なトリップしている桂秀尼はおみのとお布団シーン(またかよ)を展開。
彼女を自分たちに引き込もうとする。

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おかじとおつなは仲良くお布団シーン(もうええって)。

年増のおとくは陀羅尼経を唱えながら護摩を焚いている(このハイテンションな演技は見ものですよ)。

彼女たちはそれぞれに男に対する恨み(があるようなことをほのめかすセリフはあるけれど、具体的なシーンは描かれず)から、この寺に迷い込んできた男を食い物(しつこいけど本当の意味で)にしていたのだ。

でも、志賀勝は平気で寺内ををウロウロしてるけど・・・。
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すべてを悟ったおみの(彼女の内面を表現するシーンで、極彩色なサイケなスタジオで、登場人物たちが珍奇に踊る場面が挿入される)は、こんな寺にいてられるかい! と出て行こうとする。




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が、寺へ来る前に彼女を襲った猟師コンビにばったり遭遇。
またも襲われそうになるところを、食人尼さんたちが猟師を捕らえ、またまた食料にしてしまう。

さらに、おみのを追ってきた弥太八と亀も捕らえられてしまう。

さらにさらに、伊三郎も寺にやってくる、ってここは男ホイホイかよ。
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おみのは伊三郎を逃がそうとするが、「俺ぁじつは幕府の隠密だから心配すんな」、とかっこいいことを言っておみのとお布団シーンを展開するが、翌朝、伊三郎は首を切られた無残な死体となる。



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十手をくわえた生首が、水桶に沈んでいるのだが、成瀬正、桶の底から首だけ出しての渾身の演技。
しかし、本人も監督もどうやって撮影したのかおぼえてないんだとか。
そんなもんなんやね・・・。


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おみのは食人尼たちを倒そうと、捕らえられていた弥太八をそそのかすが、あっという間に桂秀尼に返り討ちに遭う(汐路章は今回もいいところなしだ)。

亀はおとくに母乳を飲まされて窒息死(どんな死に方や?)されてしまうし。

その間、おみのはおかじ、おつなを殺害、おとくは落下した本堂の梁の下敷きになって死ぬ。

と、ごちゃごちゃあって、おみのと桂秀尼と最終決戦に突入する。
燃えさかる寺の本堂で、闘う二人。
たいていこういう作品って、クライマックスは燃える建物の中だね。
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で、おつなは桂秀尼を倒すのだが、彼女は小夜に槍で突き殺されてしまう。
ヒロイン、死ぬのかよ・・・。





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ここで小夜の回想シーン。
雪深い中を旅行く桂秀尼と小夜。
しかし、猟師に襲われる桂秀尼。
それを助けようと、小夜は猟師を殺害する。

この二人が親子だったかはわからないが、強い絆がそこにあったことを示唆する場面だ。
そして燃え盛る本堂で、小夜は初潮を迎えるのだった。
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ここで、安置されていた即身仏がいきなり立ち上がるという、珍奇なシーンが盛り込まれるのだが、せっかくのセンチメンタルな場面をぶち壊す、最後の最後で残念な演出だ。




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すべてを失った小夜は、一人雪の中を旅立っていく、というところで「完」。









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はたして、田島はるかはこの映画で、インドへ行けるくらいのギャラをもらったんだろうか?

というか、あれ? 志賀勝はどこ行った?



すべてにおいて陰惨な物語だが、汐路章と佐藤蛾次郎の使い方や、醜悪だがどこかコミカルな志賀勝といった、こういうところに作り手のバイタリティを感じる。
男に騙された女の悲哀、というのが物語の根底にあって、いつも酷い目に遭うのは女性であるという視点は、物語こそ醜悪だが揺るがないテーマでもある。
そして、一人の少女の通過儀礼の物語(人肉喰ってたけどね)という、リリカルなエンディングという、終わりよければすべてよし、ではないが、70分足らずの映画の中で語られるものはかなり多い。
じっさい、冗長な映画もある中で、凝縮しての70分足らずはじつに濃密な体験を与えてくれる。
とはいえ、こういう映画に慣れた向きじゃないとキツイ映画であることはたしかだか。
【amazon】 DVD ※18歳未満の方は購入できません】



おんなごくもんちょうひきさかれたにそうかるとぜんしゅう
本作に関しては、ワイズ出版より発売された日本カルト映画全集8(96年発刊)に詳しく、シナリオ(完成した映画と多少の違いがあるのも面白い)や牧口監督のロングインタビュー、出演者、スタッフの談話、撮影時のスナップ写真、スチール写真などが掲載されており、本作に興味を持った方には必携の書である。

とりわけ、小夜を演じた佐藤美鈴は当時中学生であり、完成した映画は成人指定だったので、父親と一緒に上映中の映画館に観にいったという本人による談話が微笑ましい。

さらに、監督を囲んで女優たちが談笑しているスナップ写真は、完成した映画こそエログロナンセンスではあるが、撮影時はわきあいあいとしていたことが感じ取れてじつにいい雰囲気(じゃあ、なんで芹田かおりは逃げ出したんだろう。あ、逃げ出す前の写真なんだな)。

監督のインタビューでは撮影時の秘話があれこれ語られており、スコアを担当した渡辺岳夫についても、作り手仲間の友情というか義理のようなものを感じられる逸話が披露されている。

すでに入手しづらくなっている書籍だが、これは資料として、また映画そのもののパンフレットとしても、じつに読み応えのある一冊だ。
【amazon】 まだ扱ってます。



※加筆(2018.1.3)
なお、この作品には原作が存在する。
オープニング・クレジットにも挙がっているが、島森俊夫 著:「女地獄獄門帖」がそれ。

上に挙げた「日本カルト映画全集8」にて、本作のプロデューサー本田達男氏の談話によれば、原作のタイトル(実際の映画は「地獄」が抜けているが。語呂が悪いので削ったんだとか)と、尼寺が舞台ということを引用しただけで、内容はまったくの創作とのこと。

当時話題になったトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』の路線で、生き地獄から逃げだしたヒロインが駆け込んだ尼寺が、それ以上の地獄だったという内容で、脚本を担当した志村正浩氏が考え出したオリジナル・ストーリーである。
同じく「日本カルト~」では、志村氏の談話も掲載されているが、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の影響もあるというのが面白い。

とはいえ、原作があるというのなら、それも読んでみたい、というのが人情だ(どういう人情だよ?)。
で、amazonで調べたら、ちゃんと扱ってるじゃないか。
早速注文したら、あっという間に届いたよ。
おんなごくもんちょうひきさかれたにそうげんさく
作家は島森俊夫。
不勉強で存じ上げなかったが、いわゆる江戸時代を舞台にした官能小説を多く書かれている。
「女地獄獄門帖」もその一つで、昭和50年代前半、東京スポーツ紙に連載されていたのを、昭和52年(77年)に双葉社の双葉新書という形で1冊の本にまとめられて出版。
内容は15編の短編から構成されていて、いわば、団鬼六作品をもうちょっとソフトにしたような内容だ。
本作の原作という「引き裂かれた尼僧」は一番最初に登場する。

ヒロインはとある尼寺の美貌の庵主、春蘭。
周囲の貧しい農民に施しを与え、慕われていた尼僧だが、じつは相当な淫乱だった。
時に町娘、時にあでな姿の姐さんのいでたちで、夜な夜な町に繰り出しては男をたぶらかし、最後に金品を奪うというとんでもない春蘭尼の所業が描かれる。
それがバレそうになると、相手を平気で殺してしまうおそろしい悪女だ。
しかし、最後には騙した男にひょんなことで遭遇、文字通り、引き裂かれてしまうという因果応報なお話。

・・・ほんとに映画とまったく違う(笑)

実際、映画のタイトルは「引き裂かれた尼僧」だが、映画ではそんなシーンはまったくない(引き裂かれてるのは男だもんね)が、原作を読めばなるほど、ってなもので。
内容はおろか、登場人物の名前も全然違う。
それでも、クレジットに原作云々を掲げなければいけないのは、タイトルだけであっても後で問題が生じることの防御策だったのだろう(だったら、タイトルも創作したらよかったのに)。
逆に、当時はこの原作がけっこう知名度があって、映画の製作陣もそれにあやかったのかもしれないけれど。

本書に掲載されている短編小説だが、ほかにも興味をそそられるタイトル(逐一挙げませんよ(笑))が掲載されていて、まぁ、暇つぶし程度に読めばいいだろう、くらいなもので。
この手の映画を作ろうと思う向きには、アイデアの宝庫かもしれない。
【amazon】  興味のある方向け。




■『ツイン・ピークス:序章』■(ブルーレイ) 







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アメリカ本国で『ツイン・ピークス』の新シリーズが25年ぶりにオンエアされた。
それに伴い、カンヌ映画祭ではその中の2エピソードが特別上映されたりとか、なにかと話題に事欠かない。

リンチストとでもあり、かつての呼び名ではピーカーだった(今もそうだが)僕としては、一刻も早くその新シリーズを観たいのはやまやまなれど・・・。
日本では25年前と同じく某衛星放送会社が放映権を持っていて、加盟していれば2か月後の7月には観ることができるようだ。
しかし、いまだに部屋のTVが「地上波」の僕としては(いえいえ、茶の間のTVはちゃんと地デジでございますよ)、いずれソフト化されるまでは、はやる気持ちを抑えつつ気長に待つしかない状態である。

そのはやる気持ちを抑えるには、今こそ旧シリーズを観直すのが一番!!

ってなことで、2年前に旧シリーズ全話+劇場版をすべて網羅したブルーレイBOXセットを購入したはいいが、なかなか観る機会が無くて、すっかり部屋のディスプレイの一つに鎮座していたわけで。

今こそこれを紐解き、25年前に抱いていたドキドキ・ワクワク感を蘇らせつつ、観直していこうと思った次第。

な~~~に、毎日1エピソードなんて到底こなせないし、全話観終わる頃には新シリーズも観ることが可能になっているんじゃないか、という淡い期待を抱きつつ・・・。

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25年前、すでに『エレファント・マン』(80)、『デューン砂の惑星』(84)の洗礼を受けて、デイヴィッド・リンチという稀有な監督に魅せられていた僕は『ブルー・ベルベット』(86)で決定的にノックアウトされていた。

シネマライズ渋谷で上映されていた際には、初日に観に行って衝撃を受け、その後2~3度通ったものだった。
その後、SHVからビデオ・ソフトがリリースされるや(当時は15000円くらいしたね)、即購入しては毎晩部屋のBGM代わりに流していたような次第。

まさにリンチ中毒になっていたわけだが、そんな頃にリンチが新作を作った、という具体的な話題を知ったのは、日テレ系の深夜番組「11PM」だったか。

今は亡き、今野雄二氏の解説で映像を伴って紹介されたのが、その新作である『ツイン・ピークス』だった。

ただ、映画ではなくTVドラマシリーズというのが、ちょっとネックに思えた。
それまでのリンチ作品にあったような「毒」が、TVドラマということで薄れてやしないか?
そして、映画ならば公開されれば映画館で観ることができるが、TVドラマとなると果たして日本でまともに観ることができるのだろうか? という懸念があった。

実際に作品を観ることができたのはWHVからリリースされた「序章」のビデオソフトだった。
もちろん、リリース当日に秋葉原の石丸電気でソフトを購入し、初めて『TP』に触れたその時の衝撃たるや・・・。

その後、シリーズ自体、本国はもちろん、日本でも大ブームを巻き起こしたことは、いまも覚えてらっしゃる方も多いと思う。
なにしろ、ジョージアの缶コーヒーのCMにまで、カイル・マクラクランが登場したり、劇場版である『ローラ・パーマー最後の七日間』が封切られることには、新宿アルタ前でローラ・パーマーの公開葬儀まで開催されるほどだった(もちろん、参列したよ)。

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ローラ・パーマー(シェリル・リー)の遺体が発見されたのは、アメリカとカナダの国境に近い町、ツイン・ピークスでのことだった。

町の高校一の美女であり、ボランティア活動にも参加し、誰からも愛されていたローラだったが、遺体は暴行を受け全裸のままビニールシートで包まれるという、異様なものだった。
遺体を発見したのは町の巨大な製材会社、パッカード製材所の従業員ピート(ジャック・ナンス)。

ピートを演じるジャック・ナンスは、リンチの長編第1作『イレイザーヘッド』(77)で主役を務めて以降、『エレファント・マン』を除くリンチ作品の常連で、不慮の事故で亡くなるまでまさにリンチ作品の顔でもあった。


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時を同じくして、パッカード製材所の従業員の娘で女子高生ロネットも行方不明になっていたが、彼女は監禁されていた場所から自力で逃げ出したところを保護される。

町の保安官トルーマン(マイケル・オントキーン)による捜査が始まり、ローラとロネットが暴行を受けたであろう場所も発見されるが、犯人につながる有力な決め手が見つからない。

トルーマンの部下のアンディ(ハリー・ゴアズ)が、遺体を見ると泣きだしてしまう性格だったり、保安官事務所の受付係で、超天然なルーシー(キミ-・ロバートソン)はアンディと付き合っていたりと、このあたりのキャラクターの書き込みも本筋とは関係ないが、かなり深く描かれているのが面白い。

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ローラ達が暴行を受けたとされる廃車両のなかには、奇妙な盛り土がしてあり、その上に、

「Fire walk with me (火よ、我とともに歩め!)」 

と書かれた紙片が置かれているのが発見される。

しかし、それがいったい何を意味するのか、その時点では誰にもわからない。

この言葉は後々いろんなところで登場し、さらには劇場版のタイトルがこれを引用したものであることは周知のとおり。

ちなみに、ブルーレイBOXセットには、おまけとして、この紙片がついているのがご愛敬(笑)
新シリーズが始まったのを機に、ブルーレイBOXセットが、劇場版を外した内容で廉価版にて再発されるようだが、この紙片のおまけはついてないんだろうなぁ・・・。

リンチの演出は、この「序章」から大全開!!

特に、ローラの死を告げられた彼女の母セーラ(グレイス・ザブリスキー)が、悲しみで嗚咽する様をねちっこく延々と映し出すという、観ている者の心をえぐるような演出は、リンチの真骨頂だ。

さらに、ローラの父、リーランド(レイ・ワイズ)が、彼が務める観光ホテル「グレート・ノーザン」へローラの訃報を伝えにやってくるトルーマンの姿におののく姿であったり、ローラの通う高校で、校長から校内放送を通じてローラの死を伝えられる際の、ドナ(ララ・フリン・ボイル)、ジェームズ(ジェームズ・マーシャル)、オードリー(シェリリン・フェン)たち同級生たちの動揺など、リンチの演出はますます冴えわたる。

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そうこうしているうちに、やっと登場するのがFBI捜査官のクーパー(カイル・マクラクラン)。

『~砂の惑星』、『ブルーベルベット』に続き、ジャック・ナンス同様、すでにリンチ作品の「顔」でもあったマクラクランの出現で、物語はさらに面白さを帯びてくる。

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クーパー捜査官はモルグに安置されたローラの遺体の親指の爪の下から、小さな紙片を見つける。
どうやら、ローラの死は、1年前に他の町で起こった、テレサ・パンクス殺害事件と関連があるようだ。

この遺体の爪の間にピンセットを突っ込むなんて描写は、まぁ観ているだけで痛いシーン、いわゆる生理的嫌悪感100%な場面なんだけど、こういうところもリンチらしいといえばリンチらしい。

ちなみに、『TP』のビデオが日本でリリースされた当時、リンチの劇場作品の新作であった『ワイルド・アット・ハート』(90)のプロモーションも兼ねた、リンチ自身による絵画の個展が、当時表参道にあった東高現代美術館で開催された。

リンチ自身来日してのトーク・ショーも行われたのだが(もちろん、駆けつけましたよ)、その際のティーチ・インで

「何をしている時に快感を感じますか?」

みたいな質問が会場から上がり、それに対して、

「親指の爪を横からギュッと押す時」

とリンチは答えたものだった。
(あと、ワイシャツのボタンを一番上まできちっと留めた時、なんて回答もしてたっけ)

ほんとに、リンチらしい回答だが、爪云々に関することは、おそらく『TP』を意識してのことだったんだろうな。
あるいは、本当に常々そんなことを思っていて、それをドラマに用いたというとだったのかも・・・。



さて、クーパーはトルーマンと共に、ローラ殺害の容疑者として補導されていた、ボビー(ダナ・アシュブルック)の事情聴取を行う。
素行が悪いうえに、ローラと付き合っていたというから最も怪しい人物なんだが、クーパーはあっさり彼をシロだとして釈放するのだった。

しかも、捜査の中で、ローラの裏の顔が徐々に見えてくる。
彼女の貸金庫から出てきたのは売春情報が掲載されているアダルト誌、大量のお金、そしてコカインが入っている袋・・・。
いったいローラという少女の本当の顔とは・・・?

その後、ローラの遺体が見つかる前夜、彼女と最後に会っていたのはジェームスだということがわかってくる。

二人がひそかに付き合っていることを知っていたドナは、ジェームズからローラが亡くなる前夜の彼女の異様な様子を聞かされる。
そして、ハート形のネックレス(半分に割れるようになっており、半分はジェームズが、半分はローラが持っている)を、ドナと共に埋めるのだった。

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「序章」はこの後、娘を亡くし憔悴したセーラが、何かにおののく姿と、ジェームズたちが埋めたハートのネックレスを、誰かが掘り出す場面が映し出されて終わる。

とにかく、このセーラを演じるグレイス・ザブリスキーの「顔芸」が、この「序章」における真骨頂かと。
「顔芸」なんて書いたけど、とにかくこの方の驚愕の表情はインパクト大。

もちろん、リンチの演出ゆえのことだろうし、続く『ワイルド・アット・ハート』でも素晴らしい「顔芸」(笑)を披露している。
『インランド・エンパイア』では、この方が登場しただけで場内から笑いが起こったものだ(それって失礼やろ)。

本作のことを考えれば、愛する娘を亡くした母ということで、その悲しみに対するリンチなりの表現であり演出なわけだが、それを受けて立ったグレイス・ザブリスキーの素晴らしさをあらためて実感。
25年ぶりの新シリーズでも、同じくセーラ役で登場ということなので、こういうところも期待度が高まってくるというものだ。

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さて、監督したリンチとプロデュースしたマーク・フロストが本作を製作するにあたって、製作費を捻出するためにワーナーホームビデオとの間に、アメリカ本国以外ではビデオを売らんがために、TVシリーズのパイロット版ではなく、1本の独立した作品として仕上げるよう契約が交わされていた。

従って、アメリカ本国では上記の「ネックレスを誰かが拾う」シーンで、「第1話に続く」という形になるのだが、当時日本でリリースされたビデオ・ソフトには、その後30分の「完結編」にあたるエピソードが盛り込まれている。

これが当時としては、アメリカ本国では観ることのできなかった「幻の30分」だった。
その後、DVD化された際にその映像も収録され、本国のファンもようやく観ることが可能になった。
ということは、逆に日本では観れなかった本来の姿の「序章」のラストを観ることができたのもまた、DVD化されたからだった。

当時、「序章」はワーナーホームビデオから、それに続く「第1話」以降は、アミューズからビデオリリースということで、まったく発売元が違っていたので、本来の形の「序章」は観ることができなかったのである。

まぁ、もっとも某衛星放送に加入していた方は観ることは可能だったのかもしれないけれど。

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その、「幻の30分」だが、セーラはローラの遺体が発見された日の朝、ローラが彼女の部屋から起きてこないので、部屋を覗き込むが、そこに娘の姿はなかったことを回想するのだが、と同時にローラの部屋に不審な人物がいたことを思い出す。

それが後々、エピソードに登場してくるボブ(フランク・シルヴァ)という謎の男。
「幻の30分」、それまで劇中にまったく登場しなかったこのボブという男の独壇場になってくる。

ボブを演じるフランク・シルヴァという人物は、確か俳優ではなくドラマの大道具スタッフだったはず。
面白いのは、セーラがおののく場面の写真の右上、注目してもらえばわかるように、鏡にこのフランク・シルヴァの姿が映り込んでしまっている。

これは、確かなことはわからないが、演出ではなく、たまたま映り込んでしまったもののようで。
これを機にリンチは物語に彼を無理矢理導入したようだ。

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彼を導入するってんで、わざわざボブがローラのベッド脇からこちらを覗いているショットまで撮り直している。

このシーンは、グレイス・サブリスキーの顔芸とあいまって、むちゃくちゃおっそろしい場面になっておりインパクト大!!


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時同じくして、保安官事務所にマイク(アル・ストロベル)と名乗る男から通報が。
ローラを殺害した犯人、ボブがモルグの地下にいるというのだ。

クーパーとトルーマンはモルグに直行する。
そこには、それまで劇中1シーンのみ登場した片腕の男マイクがいた。
彼は長年ボブを追っており、ようやくその場を突き止めた、みたいなことをクーパーたちに語る。

そして、ローラ達が暴行された現場に残っていた紙片に書いてあった言葉、

「Fire walk with me (火よ、我とともに歩め!)」 

をいきなり喋ったりするわけで。

まぁ、なにしろ事件の犯人はボブだ、っちゅうことで押し通さなくちゃいけないんで、この際、辻褄が合ってないなんて関係ない・・・(笑)

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はたして、モルグの地下では、ボブが地べたにローソクを並べて、なんだかよくわかんない儀式みたいなのをしている。

マイクはボブを撃ち殺そうとするが、突然発作で倒れてしまう。
結局、クーパーとトルーマンに射殺されるボブ。

事件は一件落着・・・のはずだったが・・・。







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いきなり物語は25年後へ。

ここからがいわゆる『TP』の真骨頂なわけだが、謎の赤い部屋に年老いたクーパー。
その隣には、謎の小っちゃいおっちゃん(マイケル・アンダーソン)。
さらにその隣には、死んだはずのローラが。






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小っちゃいおっちゃんはクーパーに、

「あんたの好きなガムが、また流行る」

と、中島みゆきの「りばいばる」の一節みたいなセリフをのたまう。

この25年後というのが、今年なわけで最初から新シリーズを2017年に作るなんてことは、この当時は思っちゃいなかったんだろ
うな。

でも、それを考えると、なんで25年なんだろう?
その25年という数字は、どこから来たものなんだろう?

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おもむろに流れてくるアンジェロ・バダラメンティによるアンニュイなスコアに乗って、小っちゃいおっちゃんがクネクネ踊りだす。

この小っちゃいおっちゃんを演じるマイケル・J・アンダーソンという方の経歴はよくわかんないんだけど、リンチが90年当時に演出した舞台でも、ダンスを披露していたり、『マルホランド・ドライブ』(01)にも出演していた。

『TP』では、赤い部屋での人物は、みんなセリフを逆再生で収録されていて、このあたりの演出もリンチの真骨頂かと思うが、この「幻の30分」の最後は、あまりにシュール過ぎて初見の際には大変困惑したものだった。

実際この赤い部屋の場面は、のちのエピソード用に撮影されたものを無理矢理くっつけたので、余計に混乱を招くが、逆にそれが『TP』全体を表現する不条理さを加速させるに十分なものであり、それゆえ『TP』という作品の本質が、ここにあるといっても過言ではない。

もっとも、なにを言いたいのかよくわかんないエピソード(笑)だが、まさにリンチの力業というべきだろう。

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そして、ローラはクーパーに耳元で何かをささやくところで、この「幻の30分」は終わる。

彼女はいったいクーパーに何を語ったんだろう?

「こんなもっともらしい顔して演技してるけど、私にもいったい何をやってんのか、さっぱりわかんないのよ」

とでも言ってるんだろうか?(笑)


この「幻の30分」が収録された、いわゆるインターナショナル版の「序章」のビデオも、当時は『ブルーベルベット』のビデオと同様ことあるごとに観ていたものだが、25年経って観直してみても一切色あせていないのが見事だ。

そして、『TP』の主要人物のほとんどが、この「序章」に登場しており、それぞれの関係もさりげなく描かれていて、この「序章」だけである程度の相関図が書けるくらいに人間関係は入り組んでいるが、キャラクターが際立っているので混乱することはない。

ローラという一人の少女の死をきっかけに、想像もつかない物語が展開していき、驚愕のラストを迎えることになるのだが、25年前に「序章」のビデオを観て、狐につままれた思いだった当時の僕には、そんなことは知る由もなかったのだった。

《以下、第1章につづく》



◆『ゲスト』◆(DVD) 


ゲスト
『箪笥』(03)を観た時は、とにかく衝撃的でした。

それまで『シュリ』(99)『カル』(99)で、韓国映画のパワーを実感してはいましたが、それらを凌駕するほどの内容にただただ驚愕したものです。
美しい姉妹の周辺で起こる不可解な出来事。
ホラー映画でありながら詩情あふれる映像音楽。
そして、壮大なカタルシスに包まれるエンディング。

とりわけ、驚愕のクライマックスに度胆を抜かれたの僕だけではないでしょう。


その証拠に、日本で公開された時にはすでに「史上最高額でリメイク権をとった」という、ドリームワークスの名前も華々しく踊っていたものです。

しかし、それから幾星霜、とんと『箪笥』のハリウッド・リメイクが公開されたって話を聞かないなぁ、と思いきや、とうにアメリカでは公開され、日本ではDVDスルー・・・。

「史上最高額」という鳴り物は鳴りをひそめてしまったわけですな。


本作にハリウッド、とりわけドリームワークスが目をつけたのは、おそらくはあのクライマックスのくだりでしょう。
先にも書いたように、あれには僕も驚かされたし、ハリウッドの連中も「スゴイのを観たなぁ」と思ったことは想像に難くない。
実際に、本作もオリジナルと基本的にはストーリーは同じだし、肝心のクライマックスもオリジナルを踏襲しています。

だから、仮にオリジナルを観てなくて、本作を初めて観た方には、そのあたりのことは十分堪能すること請け合いな作りになってはいるものの、そこへ到達するまでの部分は、いかにもハリウッドらしいなぁ、と思わざるを得ない改変がなされています。
その改変も、結果的にプラスになっていればよいのですが、少なくともオリジナルを知っている(そしてそれに惚れ込んでいる)者としては、残念ながら辛口な感想を述べてしまわざるをえないのです。
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◆『チェイサー』◆(DVD) 


チェイサー
2009年度は映画館で111本の映画を鑑賞しました、というのは普通の人(なにをもって普通とするかの基準は曖昧なれど)に比べりゃ多いほうだとは思うのですが、それでも残念ながら観逃がしてしまった作品もあるわけで。

嗚呼、あんな映画(具体的なタイトルは挙げませんけどね)を観るくらいなら、なんでこれを観なかったんだろう・・・と後悔することは、毎年のようにありまして、2009年度でいえば『愛のむきだし』がそうだったし、今回観た韓国映画『チェイサー』もそう。
おそらく、両者とも劇場で観ていたならば、ベスト10の順位は多少なりとも変わっていたことと思います。

で、この『チェイサー』、ストーリーの元となったのは2004年に韓国で起こった「ユ・ヨンチョル事件」。
1年足らずの間に30人以上も殺人を犯した最悪かつ凶悪な事件で、詳細については検索をかければいろいろ詳しいことを教えてくれますのでそちらを参考していただくとして、犯人であるユ・ヨンチョルが警官に連行される際に、被害者の遺族が彼に殴りかかってい映像を、日本のニュース番組でも流れていたのをたまたま観たことがあって、「ああ、あの事件の映画化なのか!」と。

ただ、実録モノではなく、あくまでストーリーのモデルということなので、映画と実際の事件の顛末とは若干違いがあるようです。
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◆『オカルト』◆(DVD) 


オカルト
昨年(2009年)は、一年の間に4本も監督作品が公開されるという、じつに精力的な活動をされている白石晃士監督。
その中の1本である『グロテスク』(09)は、イギリスでDVDが発禁扱いになったなんてニュースが一般紙に掲載されるなど、記事の内容がどうであれ日本に白石晃士あり! とその名が知れ渡ったのは、映画監督としては「おいしい話」だったんじゃないかな、なんて無責任なことを思ったりするわけで。

さて、その白石監督が『グロテスク』と同じく2009年に発表したのが、今回観た『オカルト』。
内容は同監督が2005年に発表した『ノロイ』(05)と同じくフェイク・ドキュメンタリー。
本作に限らず、レンタル・ショップに行くとそれこそ何作ものこの手の作品が並んでおりまして、こういうジャンルが好きな僕でもなにから手を出せばよいのやら迷ってしまいます。
明らかに、仕上がりがチャチそうだなぁ、という匂いがジャケットから伝わってくるものが多い中で、それでも『ノロイ』なんて作品は劇場公開された作品でもありますし、それなりのクオリティもあるので、この手の作品をチョイスするのに迷ってらっしゃる方は、ぜひご覧になるとよいでしょう。

奇しくも、昨年末には『フォース・カインド』が公開されたり、この週末からは『パラノーマル・アクティビティ』が公開されて、いずれもマスコミが大きく取り上げるなど、フェイク・ドキュメンタリーが静かなブームになりつつある予感がしないでもないですが、まぁ、この手の波ってのは今に始まったことじゃありませんし、なんだか周期的にブームが到来しているようなそんな感じがいたします。

世界的に不況が続く昨今、日常の中に潜む異常、しかも極めてリアルな異常を目の当たりにすることで、現実逃避したい人々が増えるという説もあるようですが、僕自身は単に人間誰しも持っているだろう「コワいもの見たさ」な部分を刺激する要素がある。
ということはホラー映画と本質は同じなんだけれども、はなっから「胡散臭さ」がぷんぷん漂っているんだけれど、フェイクとはいえドキュメンタリーの手法をとることで「胡散臭さ」のなかにも「さもありなん」と思わせる信憑性っていうんでしょうか、それが「コワいもの見たさ」な部分を、たとえばホラー映画の1.5倍程度増量して刺激するからこそ、人々は飛びつくんじゃないのかな、なんて思うわけなんであります。


で、なんの話だったっけ?
あ、そうそう、白石監督の『ノロイ』はそんなフェイク・ドキュメンタリーの王道を行くような作品でありまして、王道を行くからこそ懲りすぎたきらいがあって、それゆえちょいと残念な仕上がりになっておりました。
それについては映画を観た当時に、ミクシィのレビューでダラダラ書き連ねたのでいまさら蒸し返すつもりはありませんが、そこで今回の『オカルト』ですよ。
同じ監督だし、おそらく『ノロイ』と同工異曲な内容だろう。
どうせ二番煎じみたいな仕上がりだろうな、と思いつつ、それでもなぜかこの監督の作品には惹かれるものがありまして、早速拝見いたしました。
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